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5月, 2011の投稿を表示しています

コントラスト

 従兄が隣に座っていると、車の室内はやたら狭く感じる。 と、彼は思った。これは昨晩にも思った事だ。 おそらく、この軽四の室内は体の小さな彼に適切な空間なのだ。 もう少しくらい身長が伸びて欲しかったが、それはそろそろ望めそうもない。 反対に従兄の体となると、少なくとも乗用車サイズでなければ比率が合わない。 もっと大きなものでも大丈夫だろう。それ程、従兄の身長は高い。うらやましい。 最近は車内の広さを売りにしている軽四もあるな。と彼はふと思い出した。 遅い朝、そして、まだ早い昼。 彼はそれに自分自身と従兄を代入した。どちらがどちら、という事は考えなかったが、何となく似ている様な、似ていない様な。おそらく自分が遅い朝だろう。 考えたがあまり意味が無い事だった。関連性が薄い。つまり、似ていない。 従兄の―つまり母方の―血がもう少し遺伝していたら、自分自身を嫌いにならずにいれただろうか、そんな事を彼は空想する。翼があれば、と言うのと同じだった。 ラジオの音が薄く充満している以外は何も無い空間。 年に一二回会う事があるかかどうかの二人である。会話の共通項も少ないので、二人とも特に取立てて話す事は無かった。 彼は言葉に困っていた。こう言った状況での沈黙はかなり堪える。お互い、それ程多くの会話が必要ではない事は分かるのだが、それでも何か言葉を発さなければならない、という強迫観念が余計に口を重くしていた。 一方、従兄が沈黙を気にしている様子は無かった。向こう側の窓を何の気も無しに眺めている従兄の横顔が彼の視線の端に見える。その横顔に映る仄かな陰がある。おそらく昨日のアルコールが気怠い気分にさせているからもあるのだろう。 それ以上に― 従兄を降ろす予定である駅に近付いた頃、彼は従兄に声を掛けた。 彼の中で二つ程引っかかる。 一つは、彼自身は失敗とは思っていない事だが、今のアクセントは従兄にはまだ慣れていない。 もう一つは、中途半端な調音だった。発声方法を躊躇ったためだ。普通では考えもしないそちらの方に、彼は苛立った。もう、こんな事は止めにしたい。 従兄は一瞬だけ息を呑んだが、直ぐに思考を変換した。彼が従兄を呼ぶ時、二通りの呼び方をする事に昨日気付いたのだ。このアクセントは今の従兄を認識してのものだった。 「…あの、」 「何だ」 少し冷たい声だと従兄は思ったが、これ...

林檎は涙の味がする

僕は真っ赤な林檎を眺めて 唇当て かりりと食べる じわりと広がった甘さ 酸っぱさって涙みたい 林檎見ると君を思い出す 時間なんて 場所なんて 本当は関係無いんだ 実際

ツクヨミ

つくよみ 虚の中 夜空見上げ 君を想う 千切れた紐 落ち 別れた時の哀しさ 虚の中 地へ沈み 僕は考える 可能な未来は無かったのか― 眠る 眠れ 瞼 閉じて 永遠に明けぬ夜 どうか 君へ、 この影に怯えないで 哀しき唄を 静かに聴くは つくよみ ただひとつ

始まりは唄

あの日、自分が嫌で仕方無くて あの河原にいたんだ もっと遠くまで 逃げ出したかったけど 小さな脚じゃ 遠くまで歩いていけなくて どうしようもなくて 座って唄をうたった 歌う事だけが、自分だった 河原はあらゆるものを流していく 目を閉じた、その音だけが 自分という存在 唯一の安堵 そんな僕を君は救った 君が僕を見つけてくれた 僕の唄を聞いてくれた 嬉しくって仕方無かった 見てくれた 君と友達になりたかった この目に光が差し込んできて 僕の唄が広がって 微笑う事が出来たんだ それは、本当の事だったんだ

LAST WORDS

敗北を認めよう そして さようならだ

奈、落―

落ちていく 奈落の底へ? 赤い紐だけが 君との繋がり 触れた手のぬくもり 「君となら」 知恵を与えよう 作り上げてくれ 思考と存在 希う― 生き抜いてくれ 風を吹かせ 雨を注ぐ 唄い始めた君が 本当に愛しかった 落ちていく 奈落の底へ 赤い紐だけが 僕の御守り 落ち朽果てるまで 「君となら」 ともに生きよう 作り上げられた 過去と現在 わかるだろう この世は きっと もっと うつくしくなる

それから

時は水の様に流れ 深い傷を幾度も撫で 悲しみを癒す いつも振り返っては 君の残像を求めている 名を呼んでも 決して 戻ってはこないのに どうして君がいなくなったのか 今でもわからないまま― 唄をうたう 旋律の中 君が 楽しそうに 微笑うのだ それが愛しくて 僕はうたう 美しい旋律は 君のもの 桟敷に響く唄は 力強く、やさしい 何度でも唄おう 君のため 僕のため

なにも変わらない

 "午前十一時に、一階ロビーで待ち合わせ" 時計を見て僕は一階まで降りて近くの椅子に座っていた。 赤い椅子が何個も並んでいる。せっかちな色なんか使わない方がいい気がする。 行き交う人、人、人。それを目で追っている。 意味が無い行動だけれども、本も何も持っていなかったからそうするしか無い。少しイラつきながら待つ。 シャツの袖を手で掴んで引っ張っていた。外せないソレも不自由だった。 待つのだって本当は嫌いだ。待ってるんだったら何かしらしたい。 動けない事って苛々する。 自由な方の親指を唇に当てた。"いつもなら"しない事だった。 「おはようさん」 待ち合わせの時間には早かったけれども、"待ってる人"が来た。 "名前と顔も頭の中で一致している" 「朝から恐い顔すんなよ」 「"早かった"ね」 「待たせるよか、ずっといい」 彼は僕の手を掴んで引っ張る。よくそんな事出来るな。と思った。 なかなか先進的な頭かも知れない。 「"午前"は眠たい」 「じゃあ、午後に向けてコーヒーでも飲もや」 彼は"いつもの様に"口をにいっとさせて笑うと、僕を連れて直ぐ近くのコーヒーショップへ歩いていく。これも"同じ事"だった。 外の空気に触れる。陽が目と肌を刺した。これだけで体がバラバラになりそうなくらいだ。 「しかし、暑いな」 首に巻いていたスカーフをはたはたさせて彼は言った。 「"七月"だ。暑いなら取れば?」 「まあ、直ぐ建物の中入るしな」 そう言うと彼はするりとスカーフを外した。 外した。 彼が僕の顔を見て、そして少し残念そうな顔をした。 「…こういう時ぐらいびっくりしたとか言わん?」 「"普段は"、外さないね」 「…ま、いいや」 顔のパーツを横にくしゃりとさせて彼は言う。 そうして、コーヒーを二つ頼むと席についた。 彼はカップを啜る。確か、"古い文章"だとコーヒーは啜るものだった気がする。 僕は冷めるまでは飲めないから脇に置いたままにしておく。 「"いつも"おごってもらってるよね」 「そんなもんは気にすんな」 「ごめんね」 「こんな小銭で買えるもんにご...